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「働くもののいのちと健康」2024年夏季号(働くもののいのちと健康を守る全国センター発行)に佐藤博文弁護団長が連載「自衛官の労働と人権」として、「コンバット・ストレスと戦争トラウマ -その歴史と南ス-ダンPKO派遣第10次隊の実態」との論考を寄せました。ぜひご一読ください。ダウンロードご希望の方は以下のPDFをダウンロードしてご覧ください。


コンバットストレスと戦争トラウマ(働くもののいのちと健康2024年夏季号)


本稿の目的

2015年9月成立の安保関連法とその後の急ピッチに進む戦時体制構築により、自衛隊員が紛争地へ海外派遣され戦闘行為への参加し、それにより精神や神経を患い、事件や事故、自殺者の増大などを生むことなどが現実的になっている。そこで、兵士や家族に与える「心の傷」である戦争トラウマ、それを生み出す軍事組織特有のコンバット・ストレスに対する基本知識が否応なしに必要となっている。本稿の前半はこのお話をしたい
そのうえで、自衛隊の実態も知りたい。日本は、2011年から2017年まで12次にわたり、南ス-ダンPKO(UNMISS)に自衛隊を派遣したが、このうち、第10次隊は、安保関連法施行直後の2016年5月から派遣され、派遣中の7月にPKO宿営地のある首都ジュバの激しい戦闘に巻き込まれた。「非戦闘地域」の派遣要件が失われたにもかかわらず、安倍政権は派遣を強行し、結果的に第10次隊はほとんど活動できずに帰国した。
この第10次隊が活動した2016年5月22日から12月3日まで、1週間毎の隊員の健康状態を記録した「衛生週報」が情報開示請求により入手できた。これは、自衛隊が初めて海外で戦闘にまきこまれた隊員の精神、健康への影響を記録した貴重な資料であり、本稿の後半でその内容を紹介したい。

戦争トラウマとは

トラウマとは、精神医学や心理学の分野では、過去の出来事によって心が耐えられないほどの衝撃を受け、それが同じような恐怖や不快感をもたらし続け、現在まで影響を及ぼし続ける状態という(岩波新書『トラウマ』宮地尚子著)。
トラウマ体験とは、衝撃的で、通常の適応行動では対処できない、つまり心が耐えられないほどの出来事であり、具体的なものとして、戦争・紛争体験、自然災害、暴力犯罪、拷問、児童虐待、性暴力などが挙げられるところ、「戦争・紛争体験」によって生じるストレスが、一般にコンパット・ストレスと呼ばれるものである。

コンバット・ストレスの定義と歴史

コンバット・ストレスは、直訳すれば、戦闘ストレスであり、アメリカ国防省の軍事用語辞書は、次のように記載している「戦闘・作戦によるストレスとは、戦争だけでなく、軍事作戦や演習でストレスに晒された軍人に見られる感情的、知的、身体的そして/また行動上の反応である。」(滋賀大学経済学部研究年報Vol.19「コンパット・ストレスと軍隊」福浦厚子著。以下同著に拠る)。
第一次世界大戦では、塹壕への砲撃による神経の疲労症状が「シェル(砲弾)ショックshell shock」と名付けられた。イギリス軍人の8万人が発症したとされるこの症状は、ストレス反応の一種だとされ、その後、戦闘経験による身体の麻痺、震え、悪夢の頻発、性欲減退といった諸症状が、「戦争神経症」と名付けられた。
第二次世界大戦では、音や振動、光に過敏に反応する、暴力行為に対して過剰な反応をする、睡眠障害を引き起こすといった諸症状を発症した兵士について、当初は伝染性胃腸障害が疑われたが、のちに、戦闘疲労と総称されることとなった。
ベトナム戦争では、アメリカへ帰還した兵士に精神的な障害が認められ、社会に復帰できなくなる事態が多数生じた。アメリカ精神医学会は、1987年、このような従来の診断では把握しきれない症状全般に対して、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と名を付けた。
こうして、いまでは広く知られているPTSDという症名は、軍隊での戦闘などの体験(によって生じたコンバット・ストレス)によって生じた精神的な諸症状を総称するものとして使われ始めたのであり、非常に重い歴史の事実である。

米軍における現代の海外派遣後の実態

第二次大戦で戦った米兵に対してなされた調査では、兵士の多くがストレス性の下痢を経験し、1/4の兵士は尿を失禁し、1/8の兵士は便を失禁するという経験をしたと認めているとの報告がある。また、音が聞こえなくなり、視野が狭くなり、訓練されたことだけを実行する自動操縦状態になるなどの症状があるとされている。そして、はじめて敵を殺したあと嘔吐する兵士が少なくないということも報告されている。
兵士の心には、記憶がなくなり、夢を見ているような感覚、自分自身を外から眺めているような解離現象が起こるという。
第二次世界大戦時、米軍では精神的衰弱によって50万4千人の兵士が前線から脱落したという報告もある。この数字は、あらゆる身体的な障害を全て合計したよりも、精神的な原因で失われる兵員の数の方が多かったことを示しているという。
1998年にベトナム帰還兵の再適応に関する全米調査」(National Vietnam Veteran’s Readjustment Study)によれば、男性帰還兵のうち30.9%が    PTSDの全般的な症状を、22.5%が一部の症状を発症したことがあり、男性帰還兵の15.2%は調査が実施された1988年の時点でも、現にPTSDの全般的な症状を発症しているとの調査結果が示された。そして、PTSDに苦しむ帰還兵は、一般人と比べて離婚率や別居率が高く(離婚していない者では、結婚生活に問題の生じる割合がきわめて高い)、アメリカのホームレス人口にも大きな割合を占め、年月が過ぎるにつれて自殺率も高まると言われている。これは、同時に、多数の不幸な家庭を生み出し、女性や子どもや将来の世代に影響を及ぼしていると言える。
2004年にアメリカ軍がイラク及びアフガニスタンから帰還後3,4カ月経過した陸軍と海兵隊の兵士に対してメンタルヘルスの調査をしたところ、アフガニスタン帰還兵士の12%がPTSDであり、14%が鬱状態や機能不全であったことがわかった。また、イラク帰還陸軍兵士のうちの18%がPTSD、15%が抑鬱状態、イラク帰還海兵隊員の20%がPTSD、15%が抑うつ状態であることが分かった。このように、現代の戦争においても、帰還した兵士が、非常に高い比率で精神的な不調を抱えていたことが分かる。

アメリカ政府の対応

米退役軍人省は、1999年から統計を取り始め、2012年までに21州で2万7000人が自殺し、さらに他29州で3万4000人と推定した。現在、自殺者は1日20人・1年7000人を超え、11年間継続したイラク・アフガニスタン戦争の米軍兵士犠牲者数6700人を超えている。PTSDは60万人以上いると推定された。
このため、オバマ政権は帰還兵自殺防止法を成立(2015年)し、トランプ政権は自殺防止対策委員会を設置し(2019.3)、今日、退役軍人省は自殺防止を最優先課題に掲げているという(2019.9.10道新報道の報道)
こうした、「戦場」が持つもうひとつの顔、すなわち、勝ち負けを問わず兵士やその家族は深刻な犠牲を強いられること、それは従軍後人生を閉じるまで続くことを、ほとんどの人は知らない。

日本はどうか-兵士の命は「鴻毛より軽し」

同じことは、旧日本軍でも同様であった。すなわち、日露戦争のデータを集めた陸軍省編『近代日本歴史統計資料六日露戦争統計集 第7巻 衛生、経費、教育』や日露戦争前後の陸軍省編『陸軍省統計年報』の患者統計には、「神経系病」という病類の中に「精神病」という項目が存在する。当時から、コンバット・ストレスと精神疾患との関係性が着目されていたのである。また、千葉県市川市の国府台陸分病院という、精神疾患にり患した者専用の病院も設けられていた。
しかし、旧日本軍においては、「欧米軍に多発致しましたる戦争神経症なる精神病は幸にして一名も発生いたしませぬことは、皇国民の特質士気の旺盛なることを如実に示すものでありまして、皇軍の誇と致す所」(陸軍省医務局医事課長・鎌田調の貴族院における口演)などと、コンバット・ストレスによる精神疾患はないかのように宣伝された。
旧日本軍は、軍人勅諭で「義は山獄より重く、死は鴻毛より軽しと心得よ」(天皇の命令は山より重く、兵隊の命は鳥の毛より軽い)として、人を人と扱わずに兵士に無謀で非人道的な戦いを強いたが、コンパット・ストレスの隠蔽もその表れである。
自衛隊は1954年に設立されたが、発足当時、旧陸海軍正規将校が幹部自衛官として自衛隊の幕僚機関の主流を占めていた。1967年当時で2288人、海自1563人、空自1063人の計4914人。1969年当時で旧陸海軍出身者の割合は、将クラスで80%、一佐で78%、二佐で66%を占めており、旧日本軍の価値観が現在まで残存している実態がある。

南ス-ダンPKOと「衛生週報」

冒頭に述べたように、国連南ス-ダンPKO(UNMISS)への自衛隊派遣は、2011年から2017年まで半年交替で12次にわたってわれ、第10次隊は2016年5月の派遣当初より戦闘が頻発し、7月には首都ジュバのPKOが戦闘に巻き込まれるに至った。以下では、この第10次隊が活動した2016年5月22日から12月3日までの「衛生週報」を明らかにし、解説を加えることにする。

【5月22日~6月4日】

衛生週報には、「患者の発生概況」が週単位で集計され、症状別の16項目ごとに受診人数と初診・再診別に記録されている。集計すると、以下のとおりである。
この2週間に、いずれも初診で、「神経系・目・耳・鼻」12名、「呼吸器系の疾患」48名、「消化器系疾患」16名、「皮膚及び皮下組織の疾患」14名とあり、現地到着直後から、様々な疾患に襲われていることが分る。


5月22日~6月4日の患者発生概況

【6月5日~8月20日】

6月5日~18日は、いずれも初診で、「呼吸器系の疾患」63名、「皮膚及び皮下組織の疾患」49名、「損傷、中毒及び外因の影響」31名となっている。前述した5月28日からの4週間の間に、「呼吸器系の疾患」は111名(隊員の3分の1)、「皮膚及び皮下組織の疾患」61名(隊員の6分の1)が治療を受けており、隊員全体に異変が起きていたことを示している。
首都ジュバの戦闘があった7月10日から16日では、それまで全くなかった「精神・行動障害」が、初診で初めて3名が出てくる。同じ初診で「損傷、中毒及び外因の影響」も14名と急増する。
また、次週の7月17~23日を見ると、初診の「精神・行動障害」がさらに3名、初診の「損傷、中毒及び外因の影響」もさらに13名出て、顕著な変化を表している。
「精神・行動障害」は、7月10日以降、後述の12月3日まで増え続けており、派遣期間中に計31名、派遣隊員の約1割が治療を受けたことになる。但し、この「精神・行動障害」の内容がどの様なものでどれほど重篤だったか、自衛隊は公表していない。


6月5日~8月20日の患者発生概況

【8月21日~12月3日】

8月21日以降も引き続き、「精神・行動障害」が発生しているほか、9月25日~10月1日で、「損傷、中毒及び外因の影響」13名が発生し、「呼吸器系の疾患」初診が、10月9日から15日までに22名、10月16日から22日まで24名発生するなど、部隊に集団的に異変が生じたことが窺われる。


8月21日~12月3日の患者発生概況

ジュバ・クライシスの恐怖

南ス-ダンは、2016年7月10日頃から、「ジュバ・クライシス(首都の危機)」とよぶほど激しい戦闘状況にあり、自衛隊の宿営地上空を砲弾が飛び交い、宿営地への複数の砲弾の落下など危機的状況下にあった。
この現地の激しい「戦闘状況」を反映し、患者数が顕著に増え出したのが「精神・行動障害」であり、その多くは「不眠」の訴えである。不眠は、2週間以上の継続で精神疾患の判断基準(厚生労働省)とされており、うつ病や自殺に至る場合がある。
報告書では、毎日、初診で医務室に訪れているが、精神・行動障害だけはゼロが続いている。ところが、「7月10日から16日」の週からいきなり受診者が相次ぎ、最終的には、初診者31人、再診者26人、両方の延べ人数は57人(退院の約2割)に上った。
分岐点となった7月10日の戦闘について、2017年5月31日報道のNHKスペシャルで、派遣隊員は次のように述べている。
「戦車砲は、もう全然別物、衝撃波、風圧がすごく大きい。建物が横からたたかれる    ような、バチーンとたたかれるような。そこにいる隊員は恐怖を持っているような声は、無線で「助けてほしい」というような声だったと思う。」
「今日が私の命日なるかもしれない。これも運命でしょう。家族には感謝しきれん。笑って逝く。」(家族にあてた言葉を残した隊員の手帳)
「字が震えて書けない。震えていました、力も入らない。死ぬかもしれないときに、実家の写真を見ていたんですね。アフリカにいましたので、最期に見るのは自分の故郷を見たいと思うんです。」

戦場医療から見た分析

有事における陸自隊員の救護、衛生管理に詳しい照井資規氏(元衛生幹部)は、精神・行動障害と現地の状況との関連性について、次のように説明する。
「不眠は極度の緊張、継続的な不安を身近に感じた中で起き、隊員は〝殺し、殺される〟 恐怖を味わったと言える。受診しなくても潜在的な不眠などの異常は、3倍近くの隊員で起きていた可能性がある。今後、PTSD(外傷後ストレス障害)などによる自殺などの〝ジュバ関連死〟が懸念される。」
「見落とせないのは現地に着任した当初から、呼吸器や消火器、皮ふ系の疾患、損傷などでの受診者が断続的であるが二桁で出ていることである。現地の気候による体力への影響とともに、散発的であっても「戦闘」下での道路補修作業や宿営地での生活への精神的な不安の積み重ねの中での「不眠」が徐々に蓄積され、体力、気力の減衰による免疫力の低下が始まっていた、と見ることができる。」
「自衛隊員は普段から、自衛隊の医療機関で精神科を受診すれば「この隊員は精神的に弱い」とのレッテルがはられ、人事考課などで不利な扱いがされるという警戒感をもっている。そういう隊員が、任務地で不眠を訴えるのはよほど追い詰められている表れである。自分の将来よりも、精神的にコントロールできない状況になっているから医務室にかけこむ。皆、それまでは我慢していた心が、持たなくなった。それほど7月10日前後の戦闘状況が深刻だったと言える。」
「ジュバでは正規軍ではない普通の住民が銃をもち、内戦状態にある。「何らかの任務で宿営地から出たとき、そこで銃口が自分の方向に向けられているだけで『いつ死んでもおかしくない』という恐怖に襲われる、精神的に破たんする。」

自衛隊は隊員の健康状態を隠蔽

第10次隊長の中力1佐は、帰国後の新聞(2017年11月17日毎日新聞)インタビュ-において、ジュバでの戦闘について、銃弾が宿営値の上を通過し、戦車砲による衝撃音が響き、宿営地に流れ弾が当たったことなどを認めながら、「精神面で不調を訴えた隊員はいなかった」と言い切っていた。
このジュバでの戦闘について、防衛省は、日報の存在を隠し、情報公開請求に対して「陸自で廃棄済み」との虚偽の回答を行った(2016年12月2日)。これにより、国民はいかなる事態が発生したのか知ることが出来ず、必然的に派遣隊員の家族に対しても何一つ説明されなかった。
このような政府や防衛省から著しく不十分な情報提供しか受けられないこと、政府防衛省が正確な情報を隠していることによるストレス・不安は、派遣隊員の家族にとって深刻なものとなっていた。



内容 第10次隊での説明 第11次隊での説明
2015年12月のジュバでの戦闘 戦闘 衝突
2016年7月のジュバでの戦闘 発生前のため記載なし ただし日報では戦闘 衝突
北部地域の状況 反政府派支配地域 反政府派の活動が活発な地域
UNMISSの任務 国作り支援から文民保護に変更になったとの説明あり 国作り支援から文民保護に変更になったとの説明なし

海外戦場への派遣をしてはならない

2018年3月16日の各種報道(時事ドットコム)によれば、南スーダンに派遣された自衛官のうち2名が帰国後に自殺したという。
陸自関係者の中からも、「戦争神経症と同様の症状は、今後陸上自衛隊が各種事態に対応する場面でも間違いなく発生する」との意見が出て、「わが国でも、国際協力活動が恒常化する中、隊員のメンタルヘルスは重要な課題となりつつあ」ると指摘されている。
ところが、海外派遣される自衛隊の部隊には、米軍における「戦闘ストレス管理部隊」などのようなもの、ドイツ連邦軍の「精神ケア担当」「人権擁護担当」のようなものはなく、精神状況の変調に対する早期発見・早期治療対策も取られていない。
今後、安保関連法に基づく海外派遣が、自衛隊員の健康に対する対策が不十分なまま行なわれることは、自衛隊員と家族に対する人権侵害である(憲法13条違反)。このような観点からも、憲法9条違反の海外派兵は行なわれてはならない。